西安の言葉遣いの特徴と日本との歴史上の関わり
西安の言葉遣いの特徴として今月再度認識したことは、西安言葉遣いはやはり儿化が比較的多いということである。今学期の授業を担当してくれている先生のほとんどが西安出身の方なのだが、先生たちの中国語を聞いていて、儿化がよく起こるように感じる。先生によっては、教科書で儿化が起こっていないところに関しても、一般的に儿化して発音することが多いと儿化を教えてくれる。私の友達に青岛出身の友達がいるのだが、その子と話している時にあまり儿化が起こらないと感じ、あまり儿化しないよね?と尋ねたところ、本人も東北出身の友達は儿化が多いけれど、私は普通ではないかという見解だった。以前台湾に留学してした先輩のお話を聞いたところ、台湾では教科書で儿化が起こっていても、それをなくして練習するとのことだった。西安では教科書の儿化を消すどころか、儿化を加えて授業を行っているという点からも、やはり儿化が多い地域なのかなと感じた。 言葉遣いとは離れてしまうが、西安関連として留学していてよくあることについて書きたい。私自身道を歩いていると道を尋ねられたり、スーパーで買い物をしていると商品について尋ねられたりすることが割とある。中国全体の傾向なのかもしれないが、中国では日本に比べて自分で調べるよりも先に周囲にいる人に尋ねることが多いと思う。学校の敷地内を歩いているとき門の方向について今日も尋ねられた。また、スーパーでは多分老眼が原因で小さい字が見えにくいから、商品を一緒に探して欲しいと言われたことが何回かある。日本だったら、自分で携帯を使って調べたり、店員さんを探しに行って助けてもらったりする部分な気がするが、中国では違うのだなと感じている。尋ねられること自体は困らないのだが、時々自分の中国語の不足で助けられないことや難しいこともある。この点から日本との文化の違いを感じつつ、今後も自分のできることをしていきたいと思う。 日本との歴史上の関わりについて今月は、山上憶良という人物の作品について書いていきたい。彼は702年に遣唐使としてここ西安へ来て、大雁塔などを目にしたとされている。日本と西安とのつながりとして彼を取り上げた理由は、彼の作品には、遣唐使としての経験がいくつか反映されていることを知ったからだ。彼は、遣唐使として中国へ渡ったのち、再び日本に戻りいくつかの作品を残している。万葉集にも掲載されているのだが、有名な作品には、「貧窮問答歌」や「子らを思ふ歌」、「好去好来歌」、「老いらくの歌」がある。 渡航前の彼の作品は現存していないため、帰国後の作品のみ参照することにはなるが、彼の作品の中にはたくさん中国の影響を受けたものがあるとされる。具体的には、儒教的な思想や対句表現、漢語を多用した表現や仏教的思想などだ。彼の作品が収められている万葉集について言うと、一般的には自然美や恋愛に詠んだもの、貴族の雅などについて取り上げられることが多い中での彼の視点は他と異なっており、やはり西安に渡ったことが大きな影響を与えていることを感じさせる。遣唐使としてこれまでに空海や阿倍仲麻呂について取り上げたことはあったが、山上憶良も視点として面白いなと感じた。今回調べていく中で、「貧窮問答歌」と杜甫の「三吏」「三別」のテーマが類似していることも知った。今後はこの視点を取り上げるのも楽しそうだと感じた。 先月のレポート内容にあった西安の花の写真を載せておきます。
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