*学生のePortfolioを観覧するには、二つの方法はあります。一つは、サイトの登録をすることです。右上のメニュの「Register」をクリックして、申請して下さい。登録ができなければ、James Hallまでご連絡をして下さい。もう一つは、ゲストのパスワードをJames Hallからもらうことです。
はじめに
本プログラムは、地域の特徴を把握し、そこにグローバルな視点を取り入れることができる教育「グローカル」(Global + Local)人材の育成を目指すものである。参加学生は、留学により「外を見る」こだけでなく,「外から内を見る」経験から、それぞれの出身地域および専攻領域の学校教育ないし生涯教育の特徴・課題を把握し、派遣国・地域の教育と比較対照し、課題解決を目指します。
学習 プロセス
参加学生は、留学前に、自分の居住地域の教育課題を調べ、これらをePortfolioに記入します。その上で、留学先で調査・研究する教育課題をePorfolioに記入します。留学先では、参加学生は現地の教員の指導の元で、インターンシップに参加するか、個別研究を行い,各自が準備した課題について調査・研究・体験を行う。学生は、自分の経験と成長をeポートフォリオに記入します。
期待する効果
これらのeポートフォリオは、岩手大学の教員および在校生、派遣中学生、協定校の関係者、過去のプログラム参加者、将来のプログラム参加希望者等がいつでも見ることができます。このように派遣先の教育課題と特徴及び岩手の課題と特徴を共有し合うことで,派遣学生は当然のこと,在校生を含めた幅広い学生を教育「Glocal」人材としての資質を高めることに繋げるものになるのを期待できます。
Recent Posts (North Central College)
The Strengths and Weaknesses of Foreign Language Education in Japan from My Perspectives
【Before】 Japanese foreign language has changed over the years. These days, the grades started to…
Through the Class Observation at Highlands Elementary School in the U.S.
Last Month at North Central College (April, 2024)
Active Learning Experiences(March 2024)
Educational Learning and Cultural Experience (February 2024)
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The Difficulties of Language and Interesting Class Style (November, 2023)
Third month in NCC (October 2023)
Recent Posts (寧波大学)
中国から学び取れる言語教育及び文化⑪
1、学修、研究面の活動内容 12月も終わり私の留学生活も残りわずかとなった。今日に至るまで中国語の文法や語法を英語や日本語と比較したり、語学学習方法について考察してきた。それらを踏まえた上で今回はまず、語学学習の際に用いる「文章の題材」について考えていく。日本語(国語)では小学校低学年では「物語文」を中心に始まり学年が上がるにつれて、徐々に「詩」「説明文」といった抽象的な文も学ぶようになる。しかし今回論じたいのは外国語(特に中国語)に置ける語学学習である。つまり第一言語は日本語であるのは当然として、第二及び第三言語を学ぶ上での適した「文章の題材」について述べる。まず、中国語学習においても日本語及びその他の言語(英語など)と同様に「説明文」よりも「物語文」の方が比較的読みやすい、よって中国語の学習初期には「物語文」が適する。その次の「説明文」の段階では特に「環境問題」を題材にした文章を読むのが適すると考える。その前に前提として、中国語は漢字を用いているため元をたどれば私たちが使用している日本語も中国語の文章において用いられている漢字と同じであるため英語学習と違い既存の日本語の知識を生かせる場合が多い。もちろん長い歴史の中で日本語の文章に用いられる漢字と中国語の文章に用いられる漢字の中には同じ見た目なのにもかかわらず意味が全くことなるものが少なくない。(例えば「走」は遠い昔日本に漢字が伝わってきたころは日本と同じ「はしる」という意味だったが、その後中国では「あるく」という意味に変わった。)この前提の上で「環境問題」を題材にした文章が読みやすいと考える理由として、まず「象形文字」が多用されている点が挙げられる。「環境問題」の文章では例えば災害である「洪水」「火灾」「台风」などや、その被害を受ける「动物」「植物」などは実際の物や現象の形を漢字として表している上に「象形文字」を用いた中国語の漢字は日本の漢字と意味も形も似ているものが多いので理解がしやすい。また「環境問題」を題材にした文章は前半の部分で問題を提起し、後半で解決方法を述べるパターンが多いため話が予想しやすいということも理由としてある。確かに予想がしやすい文章を読む必要があるのかと考える人もいるかもしれない。しかし私は中国語を読む上では前回のポートフォリオでも述べたように主語、述語などの構文把握が重要だと考える。主語の部分では簡単な文だと「私が」、少し難しい文だと動詞もついた主語句「私が○○したことが」が後に続く「彼を驚かせた」などの述部へとつながる。このようなどこまでが主語なのかは「物語文」においては実際に登場している具体的な人物またはその人物の行為になることが多いため構文把握がしやすい、しかし「説明文」などの文章では抽象的な事が主語になることが多い上に「使役文」「受け身文」なども合わさることが多く中々文章のどこで切れるのか分かりにくい。よって「説明文」にまだ慣れていない段階では内容が想像しやすい「環境問題」を題材にして文章の構造を捉える練習をするべきだと考える。 2.課外活動や日常生活での所感 今日に至るまで中国語だけでなく実際の中国の暮らしや文化をたくさん体験してきた。それらを踏まえた上で留学をする意味というのは、自分の専攻する分野の研究も重要だが、それと同時に現地の人々と接触し価値観を共有したり、生活しながらその国独自の文化を体験することで、翻って日本の文化との違いに感心し、多様性を認識することも今後のグローバル社会にとっても、その人自身にとっても重要なことだと考える。
中国から学び取れる言語教育及び文化⑩
学修、研究面の活動内容 11月も終わり、中国での生活も残り二か月を切ることになった。今回はまず、言語教育における文法及び品詞について述べる。現在の日本の外国語教育(英語)では小学校低学年頃からリズム遊びなどの体験を中心とした学びから始まり、小学校五年生頃には文法の教育もすでに行われている。しかし文法教育とはいえども小学生で教えられる文法は動詞や形容詞といった具体的な品詞を用いた説明ではなくまずは、「誰が、どうした/どのようであるか、なにを」というようにわかりやすく行われる。そして品詞を用いた具体的な説明は中学以後に行われる。これに対して、中国語の学習では初めから品詞を用いた説明で学ぶ必要があると考える。一つ目の理由としてはそもそも日本において中国語は第二言語として選ばれることが多い点だ。すでに第一言語である英語に対する知識は持っているためある程度の品詞に対する理解がある上に、中国語は英語と似ている部分もあるため(SVOの語順など)品詞を用いた説明の方が理解しやすいと考える。二つ目の理由としてはマクロな視点から見れば語順など英語と似ている点はあるが、ミクロな視点から見ると文法的に品詞ごとの使われ方が英語とは異なるという点だ。まず、英語における動詞と形容詞を述語として用いた文では前者は主語の後ろに動詞、後者は主語の後ろにbe動詞と形容詞がおかれるため、区別がつきやすい(小学校におけるどうした/どのようであるかの説明もしやすい)一方で中国語では基本的に形容詞も動詞もそのまま主語の後ろに述語としておかれる。(形容詞の場合は副詞の很とともにおかれることが多いが、強調のため一部の動詞喜欢などにもおかれる)また、中国語は英語と違い動詞の変化がない(進行形や動名詞のingや過去形のedなど)上に同じ一つの漢字で様々な品詞になる漢字が多い。(例として「分别」は動詞の意味として「分かれる、区別する」、副詞の意味として「それぞれ」、名詞の意味として「違い」がある)これらの理由があるために、中国語の文章を学ぶ上ではどこまでが主語かどこからが述語かといった「構文把握」が重要であり、英語よりも難しいといえる。よって品詞に対する理解が深まればこの問題は解決すると考える(例として先程の「分别」がある文で動詞として使われることが分かっていたら、その後ろに続くのは目的語であり目的語になれるのは名詞だと気づける)。 課外活動や日常生活での所感 今回は中国語の言葉遊びについて紹介する。ある時、私の担任の教師から一つ質問をされた。内容としては、とある地域の中で、一人目の人が病院に受診しに行ってから家に帰り二人目の人から「大夫怎么说?」と聞かれたため、一人目の人はどのように答えたかというものである。私は最初この中国語を「お医者さんは何といっていましたか?」と訳したため、一人目の人の返答として「特に問題ない」と考えた。担任の教師はこの答えは正しいと認めつつ、別の面白い答えを用意した。その内容は最初の中国語の訳を「お医者さんは何と言いますか?」と解釈し、その返答として一人目の人は「doctor」と答えるものであった。このように意味が全く異なってしまう理由として、まず私の訳し方のほうでは、主語である「大夫」つまり医者を動作の主体として捉えているのに対して、担任の教師の訳し方の方では「大夫」を動作の主体ではなく、「大夫」自体の意味として、つまり「医者という言葉は」と解釈しているからだ。また、中国語では同じ文であるのに、日本語では異なる訳し方になってしまうのは、日本語では過去形といった時制を必ず文章の中に含めるのに対して中国語では過去を示す「了」は前後の文脈から過去というのが明らかにわかるのであればつけなくてもいいからだ。このような一つの文章が二つの意味を表す例は日本語にも存在しており、例えば「(遊ぶ)たこを(空に)あげる」と「(生き物)たこを(油で)あげる」といったようなものがある。このような言葉遊びは考えてみると非常に面白い上に言語学習においてもそれぞれの単語の成分を深く考える必要があるため良い教材の一つになることができると感じた。
中国から学び取れる言語教育及び文化⑨
学修、研究面の活動内容 10月も終わり、今学期も後半戦に入ってきた。今回はまず、言語学習における「方言」の立ち位置について考える。中国語では発音などに基づいて主に七つの代表的な方言(北方語、呉語、広東語、南昌語、長沙語、閩語、客家語)があり言語間の障壁を取り除くため中国全土では公用語である「普通話」が使われている。私は以前のポートフォリオでも述べたように一時期に中国の北側に居住していたこともあり、少し北の方言を混ぜて無意識に授業で発言することがあり、その授業の中で教師に北の方言が入っていると教えていただき始めてそのことを認識した。もちろん、公用語である「普通話」以外に方言を使用することは何も悪いことではない。例えば、ある地域に行き地元の人と話をする時に公用語を用いても当然通じる。しかしそこで地元の方言を用いて話をすれば相手にとっても自分達の文化などをよく理解していると受け止められ、よりいっそう深く交流をすることができると考える。私が重要だと考えているのは自分が今使用している言語がどのようなものなのかを理解することであり、これができなければ、時に自分では伝わっていると思っていても実は伝わっていないというような状況が生まれてしまう。そこで言語教育においては、まずは公用語を中心に教える必要があると考える。なぜなら公用語は方言に比べて使用されている範囲が広いのはもちろん、早い時期に同時に学んでしまうと区別がつかなくなる可能性があるからだ。次に以前のポートフォリオで四字熟語について述べたが今回はそれに似ている「ことわざ」(谚语)·について述べる。ことわざも四字熟語と同様に中国語の文章ではよく使われるのが見られる。しかし四字熟語は漢字からある程度意味がくみとることができるのに対してことわざはその背景にある話を理解していないと意味が理解できないものがある。(百闻不如一见「百聞は一見に如かず」のようにわかりやすいものもある)このようなことわざを言語教育において理解するためには、まず昔の言葉であることわざをまず現代の言葉に訳し直し、(上の例を用いると「百回聞くことは一回見ることに及ばない」となる)そこから一旦どういう意味なのか考えてみる。次にそのことわざの歴史的背景も交えながら、真の意味(上の例を用いると「自分の目で確かめる方が確実である」)を解説してもらうことで本当の理解につながると考える。 課外活動や日常生活での所感 現在は留学もあと少しで終わるということもあり、図書館を利用し学習することが多くなった。図書館では平日はもちろん休日も学生であふれており、テーブルがある席はほとんど満席なため椅子だけに座りながら学習している学生も多い状態だった。その図書館において気づいたことはどの階にも給水所があるということだ。今までも中国の汽車(火车)で見かけたことはあったが、公共施設にもあることを改めて発見した。調べてみると中国では地域によって降水量が異なり、水不足は経済発展を阻害しかねないと考えているため水分野に大規模な投資を行っているようだ。それに対して日本では全国的に降水量・降雪量が多いため水の重要さについて今まであまり意識することがなかったためこの発見によって国ごとの状況によって重要視されるインフラが異なることを理解した。
中国から学び取れる言語教育及び文化⑧
学修、研究面の活動内容 今学期の中旬から新学期が始まった。今学期は「中国語読解」「中国語文化」といった科目は同じだが、新たに新設されたE班に振り分けられた。難易度も前回在籍していたD班よりも上がり、似たような表現の使い分けが重要になってきた。特にこれは「介子」と呼ばれる、英語における前置詞の働きに近い品詞において重要だと感じる。この介子は連用修飾語となり主に動詞を修飾するが、例えば英語の(at,in,on)のように日本語に訳した段階で同じ訳になってしまう介子が複数存在する。例として一つ挙げると、「为」と「为了」がある。これらの日本語訳はどちらも「~のために」だが、前者は主に後ろに対象を表す「人」がくるが、後者は主に後ろに「目的となる語」がくる。このような違いは中国語を読んでいく上では同じ読み方のため特に問題にならないが特に穴埋め問題になりやすく、今の段階の私ではまだ使いこなすのは難しい。またこのような介子は会話で自分が使う際には、例え使い間違えたとしても似ているため相手に意味自体は伝わってしまう。このような事例は日本における外国語教育(英語)においてある程度語学能力がある生徒に教える時にも問題になることであり、中には伝われば良いと考える者も出てくる可能性がある。よって教育者としては語学学習者達に対して自身の間違いがいかに不自然なものであるかを理解させる必要がある。その方法としては、まず図を用いて理解させるという方法があると考える。例えば中国語における「向」「往」「朝」はすべて「~へ」と訳せるが、説明する際に矢印と共にその向かっている方向が何なのか(「向」であれば「人」「往」であれば「場所」など)の図を提示するとより理解が深まると感じる。また一番初めに例として挙げた「为」「为了」のように同じ訳で完全に抽象的な語を説明する際には「为」であれば「~の役に立つように」、「为了」であれば「~する目的のために」というようにあえて大げさに訳し分けることで語学学習者が理解しやすくなると考えられる。これらの方法は中国語だけに限らず全て言語学習でも似たような事例があるため幅広く教育に活かせると考える。 課外活動や日常生活での所感 夏季休暇中の間しばらく北の方に滞在していたこともあり、中国の南側である寧波に戻り生活してからは改めて北と南の違いに気づくことになった。特に食文化について顕著であり、北の方に滞在していた時はめんやマントウとよばれるような中国伝統のパンを主食として食べていたのに対して南に帰ってきてからはめんはたべるが、マントウを食べる機会がほぼなくなった。また中国では9月から学校の入学が始まるため、特にこの月の最初は火车(日本でいう汽車)の予約がびっしりと埋まっていたため一つ前の駅から切符を予約するなどの工夫が必要になった。このような工夫に気づいたのも様々な人に聞いた結果であり、やはり分からないことがあれば現地の人に聞くことが重要だと感じた。
中国から学び取れる言語教育及び文化⑥
1.夏季休暇中における日常生活での所感 3月から始まった今学期が終わり夏季休暇に入った。夏季休暇中私は中国国籍の親族の家に滞在させていただくことになった。私の親族は中国の北の方に居住しており私が大学に通うために居住している場所からかなり遠くの場所(日本の本州を挟むくらいの距離)であったため、中国国内で長距離を移動するために一般に多く使われている火车を乗り換えで利用することになった。この時夏季休暇に入ったばかりということもあり、以前利用した時と比べても圧倒的に人が多かった。その列車内で驚いたことは席が近くの見知らぬ人どうしが会話を楽しんでいることだ。日本では理由もなく話かけるのは良い印象ではないと感じる人が多いが、中国では知らない人でも嫌な顔をせず楽しく会話するのが普通のようだ。実際に私も話かけられお互いの文化について交流した。親族の家に到着してからは一緒に暮らすことになり今まで以上に中国語を使う機会が増えたため文章の読解が減り実践的な使用が重要になった。それによって今までの生活では気づかなかった私の中国力の不十分な点や日本語との違いを確認できた。その一つとして文法上の位置についてだ。日本語では(ご飯を食べる)というように主語の次に目的語がくるが、中国では英語と同じように主語、動詞の次に目的語がくるため、よほどのことがない限り(目的語が極端に長いなど)文頭には来ない。そのため日本語につられて何度か目的語から話を始めたために相手が聞き取れないことがあった。遠い過去にも同じような経験をしたことがあり、英語を学び始めた頃によく動詞の前に目的語を置いてしまっていた。この問題を解決したのはやはり慣れであり、言語学的に無理に目的語が動詞の後ろに来る理屈を理解するよりも、間違えたその場で訂正し何度も使うことで自然に正しく使えるようになった。文法的に似ている中国語でも同様だと考えており、今回の場合も親族の家に訪れた最初の方はこのような間違いをしていたが、周りの人と会話をしていく中で自然と修正することができた。このように以前も述べたが言語教育においては間違いをその場で訂正しアウトプットできる環境が重要であり、一度だけではなく反復してアウトプットすることで体得できると考える。また中国語が英語と違う点の一つとして、言いたい言葉が中国語でどのように言うか分からなくても、言いたい言葉の漢字を中国語読みすれば通じることがある。(字幕「じまく」→字幕「zi mu」など)しかし、同じ漢字でも全く意味が異なる漢字も存在するためこの方法は一長一短であり、あくまでテクニックの一つであると考える。その他に生活面で感じたこととして、中国は日本と比べて家族の間の繋がりが密接ということがある。現在の中国は以前よりも核家族の割合が増えたが、それでも近くの場所に同居したりすることで家族を支えている。町を歩いていても高齢者を大切にというような標識があり、調べてみると中国では伝統的に祖先を敬って親孝行することが美徳とされており、確かに私が生活している中でもwechatといった連絡ツールを使って毎日のように体調や近況報告しているのを見かける。
中国から学び取れる言語教育及び文化⑤
Recent Posts (高雄師範大学)
岩手と台湾の慣習法について⑩
9日より、大学の授業が始まった。これは、台湾は日本とは異なり9月から新年度が始まるためである。私も平日の午後にいくつかの授業を履修している。しかし、教授の話すスピードが速かったり、使われている語彙が難しかったりするため、完全に聞き取ることは難しい。ただ、今回の留学の目的は語学力の向上なので、台湾に来たばかりの時と比較して中国語が上手くなっていればそれでいいのかもしれない。と、思っていたのだが、先日中国から来られた留学生と話をした際、中国人の発音、イントネーションに慣れていなかったため、聞き取りが思っていたよりできなかった。結局台湾で勉強しているため当然のことではあるのだが、もしできるなら克服したいと思っている。 從九號起,開學了,是因為台灣跟日本不一樣,台灣新學年是從九月開始。平日下午我也修一些大學課。不過,因為教授說話不但說得很快,而且用的詞彙很難,所以對我來說,聽得懂所有的内容是一件很不容易的事。但是,這一次留學的目的就是加強我的語言能力,所以我覺得跟我剛來台灣時比起來,現在的我的語言能力比較好就行。雖然我這麼覺得,可是當我與從中國來的留學生聊天時,就發現因為我還不習慣中國人的發音以及口音,所以我比想像中還聽不懂她們的話。我畢竟在台灣學中文,這樣是當然的,可是如果做得到的話,我想要克服。 今回のエッセイでは、台湾の鬼月(グイユエ)の決まりの一つ、「海に行ってはいけない」というものについて述べようと思う。先日、大学の授業でたまたまこの決まりについて教授と話す機会があった。その際にお聞きしたのが、「海の中には『水鬼(シュイグイ)』と呼ばれる鬼が住んでおり、その鬼たちが足を引っ張るため溺れてしまう。これを避けるために、鬼月の期間は海に行くのを避ける」という話だった。 我想要這學習記録中陳述關於一個習慣就是「鬼月時別去海邊。」之前我偶然有機會與教授聊天關於這一件事。那時候教授說「在海的裡面住的鬼我們稱呼水鬼。因為他們把我們的腳抓著拉下去,所以我們可能淹死。避免這樣子,那時候我們盡量不去海邊。」 この話を聞いて、日本にも似たような話があることを思い出した。お盆の間は海に行かないようにという慣習法である。その理由には台湾と同じく「海に引っ張られるから」、「クラゲが大量発生するから」というものがある。これ以外の理由では、昔の人々はお盆の期間に海に行くのは祖先に対して礼儀のない行為だと考えていたということもある。というのも、その期間は祖先に対して敬意を表するものであるからだ1)。 我剛聽這個話就想起來了,日本也有一樣的習慣。就是盂蘭盆節時別去海邊,是因為跟台灣一樣的「我們會被拉下去」,還有「大量的水母會出現」。除此之外(的)理由是以前的人認為去海邊過盂蘭盆節是對祖先沒有禮貌的行為。因為那時候就是我們要對祖先表示敬意的時期。 台湾の鬼月や日本のお盆の時期に海に行ってはいけない理由は、このような伝説が由来になっている。しかし、日本の場合このような伝説は後付けで、もともとは子供が海で命を落とすのを防ぐためであっただろう。また、日本には古来より数多くの妖怪が存在するという話があるが、これは、当時の人々が体験した不思議なことを理解する際に「妖怪」の仕業であると説明してきたためである2)。この「海に引っ張られる」出来事も、妖怪を用いることで子供たちにも海の危険さを簡単に理解させることができたのかもしれない。 台灣的鬼月和日本的盂蘭盆節時不能去海邊的理由的由來是這樣的傳說。不過,在日本的話,這樣的傳說是後來加的理由,本來的目的可能是避免孩子在海裡意外死去。另外,日本自古以來就有很多妖怪的傳說。是因為當時的人,無法理解自己體驗的現象,就用是妖怪做的來說明這件事情。(是因為當時的人理解不可思議的體驗時用妖怪來說明。)這個「會被水鬼拉下海裡去」的故事,用妖怪來說明也許能譲小孩子更容易理解海裡的危險性。 参考文献 1)お盆は海に入ってはいけない!? | 海と日本PROJECT in ふくしま (uminohi.jp) 2024年9月27日閲覧…